【小説】斜陽の狐

2012年作(最終改訂:2013)

  夕焼けは紅く燃えるように美しく、静かに流れる川や草原、朽廃した森を分け隔てなく照らします。

「もう、こんな時間だ。帰らなくちゃ」

「そうしよう」

「じゃ、またね」「うん」

 鉄塔の錆びた拡声器のようなスピーカーから『夕焼け小焼け』のパンザマストが静かに流れ、動物たちはそれを境に、溝鬱の森(どぶうつの森)に点在する其々の村へと帰路に就きました。

 「もうこんな時間になったのか」と一匹の狐は愚痴をこぼします。狐はまだ遊び足らないのです。しかし帰らない訳にはいきません。何故ならばその掟に反せば、親狐に怒られてしまう他、恐ろしいものが待ち受けているからでした。

 太鼓と金属音が、丁度狐が森に踏み入った頃に木霊し始めます。その音は心臓の鼓動に酷似し、狐の動悸は上昇しました。

 やっとの思いで“オイデ村”まで奔った狐の息は荒く、ホッと胸を撫で下ろす溜め息を、その中に交えました。オイデ村は溝鬱の森の中でも栄えていたのですが、今では見るも無残な情景となっていました。荒れ果てた家々にとまる“烏”、他の村の動物が荒らした畑、危険により立ち入り禁止となった区域の増加。

 それらを尻目に狐は自宅へと戻りました。

「こらっ、またこんな時間まで遊んで」

「しょうがなかったんだよ、だからホラ、奔ってきたんだ」

「当たり前だろう、さ、風呂にでもはいりなさい」

 母親狐に入浴を促された狐は大人しく湯船に浸かりました。その湯は優しく体を温め、今日一日を肯定されている気分になりました。そして晩御飯を食べ、狐は草臥れた布団に入り、体の熱を逃さないように丸まって眠りました。

 

 笛の音で目を覚ましました。「雪祭りだろうか」と思った狐ですが、そうであればこんなに喧しい筈はありません。その軽快とも云えるメロディに何処か不安を憶え、それは精神を不安定にさせ、本能が危機を知らせる様な錯覚に陥らせます。これは祀り事ではなく、ましてや楽しい行事の知らせでもありません。これは、警報。

 居間に出てみると親狐の姿は無く、ただならぬ不安を感じ、村へと飛び出しました。村に動物たちはおらず、閑散とした村が日光に曝されており、空回りしている、より空虚な印象を受けます。

「ほかの村は、ほかの村は、どうなんだろう」

 オイデ村をとびだし、溝鬱の森を奔り回り、“マチヘ村”“トビダシ村”を訪れましたが誰も居ません。

 と、動物たちが樹の幹のもとで犇き合っているのが遠方に見えました。

「嗚呼、禁忌を破った者が、いたいけな一匹の猿を殺した」

 紅白の装束を身に纏い、木製の台の上に二足で立つ狼が気風のある声で高らかに言い放ちました。その狼のもとには、それらしき子猿の屍体が転がっています。その猿には、見覚えがありました。昨日遊んだ、狐の親友でした。

規定時刻まで外出をしていた者は此処におらぬか。その者には必ずや神から死が賜られるだろう」

 それを聞いた動物たちが混乱し始め、次第に“うちの子供が禁忌を破ったのではないか”という不安が頭の中を占め始めます。

 口々に「神から死とはどういうことなのですか」「いったいどうなってしまうのですか」「禁忌を破った者だけが命を落とすのですか」と喚きました。

「沈まれ」と狼が制し、続けます。

「溝鬱ノ森仕来リノ書によると、禁忌を犯した者と、それ以外の何者かに氏神様が裁きを下されるそうだ。子猿は恐らくその第一の犠牲者だ。」

 一匹の蛙は油汗を滾らせながら「そんな、そんな、ひどい。何か助かる方法は無いのですか」と泣きすがります。

氏神様とは此処一帯を統べる身である。氏神様とは絶対である」

 動物たちは一斉に泣き始めました。その涙は子猿の死を慈しむものではなく、自分の身が危険に晒されることへの恐怖でした。

 

 狐は誰にも気付かれないように家に帰り、机の上でわんわんと泣きました。

「ひょっとすると自分が親友の子猿を殺してしまったかもしれない」という罪悪感に押し潰されそうで、既に子猿の顔が思いだせなくなったことに対しての自己嫌悪で殺されそうでした。

 窓が風に揺られてガタガタと音を鳴らし、それを見やると外がもう真っ暗である事が解りました。背の高い草らのまわりに冬螢<フユボタル>が舞い、普段であれば綺麗であるとか、可愛いという感情を抱きますが今は殺意が芽生えました。まるで暗い自分を否定するような――「もっと明るくならなくてはいけない」と嫌味に輝きを放っている様に見えました。忽ち恥辱に浸かった様な錯覚を覚えた狐は、とうとう自己を正当化しようとしました。

 屈折した気持ちの狐は家を出て、村を徘徊することに決めました。先程の冬螢の群れを引っ掻きまわすようにすると意外な速さで飛んでいなくなりました。その光景が非常に滑稽だと狐は愉悦に浸ります。

 夜行性の動物たちが、狐の様にわんわんと泣いています。

「おおおん、あのような幼い猿がこんなことになってしまうだなんて。あんまりだ」

「現実を受け止めて前に進むことこそが、ぼくらの使命だよ」

「うん、そうだ。あの子猿はわたしたちに強くなれと言っているんだ」

 それは朝の様な自己への危険性を示唆された事に対しての涙ではなく、はたまた猿の死への慈しみでもなく、演技的な何かを感じました。まるで“自分たちに降りかかる恐怖よりも他人の死を憂う自分”を演じ、それを賛美することで“惨状を甘んじて受け止め強くなる自分”を重ねて演じている様だ、と思いました。

 「なにが使命だ」と狐は彼等を軽蔑し、それにより一層心の闇は深まります。混ざり合う溝の様な感情が、渦を巻いて一点へと吸い込み、それらの鬱屈が心臓に降り注いだようでした。

 静かに水音を立て、月明かりがチカチカと目に刺さる川に目を見やりました。魚が水流に負けじと抗っています。以前であるとずっと眺めていましたが、今の狐には視界に入りません。

 

 朝日が恭しく輝き、狐は目を覚まします。御神木の太い幹で眠っていたのでした。

 禍禍しい模様の蟲が湿った苔の上を通過したり、窪みに出入りを繰り返したりしている光景が、無限に輪廻している様に見えます。

 のそのそと起き上がりますが、たちまち力がふっと抜けて御神木に身を凭れました。

 昨晩は未確定の責任から疑似的に逃れるかのように、溝鬱の森を奔り回っていたのです。

 ふと、幹の向こう側、つまり後方から跫が聞こえ狐は酷く警戒し、「親が捜しに来た」のかあるいは「禁忌を犯した奴をひっ捕らえに来た」かと身構えます。

「この気配は、オイデ村の狐か」

 その凄みのある声は例の狼であるようです。後者の可能性が高まると同時に、狐の心拍数もぐんと高まりました。

 跫はこちらへ廻り込んでいるようです。

「やはり、お前か。こんな早朝に何をしている。お前、家には帰ったか」

 どう応えようかと狼狽している内に、狼は「まあ、いい」と言い捨てました。そして狐の横に座り込み、同じように御神木に凭れかかりました。彼は凭れかかったあと、何処を見つめる訳でもなく、只、無意識に空間の輪郭を眺めているようでした。

 何か間を持たせなくてはいけない様な凄みを醸し出しているので、狐は率直な疑問を投げかけます。

「禁忌は、これまでに破られたことがあったの。それはどうなったの」

「今まで破られたことがあったからこそ、溝鬱ノ森仕来リノ書がしたためられたのだ。いいか、お前も良い歳だ。聞く必要があるだろう」

 彼は少し思考を巡らすようにしてから、過去の話をしました。

「ある日、子供たちが夕暮れ時まで娯楽に興じていた。お前もよく知っている、夕刻に流れるパンザマストが鳴り響いてもなお、其れ等の遊びを止めることは無かった。その遊びとは“氏神様への冒涜”を示唆するものなどではなく、普遍的な遊びだった筈だ。我をも忘れていた。そろそろ陽も落ちてきた頃、子供らもよからぬ危機感を感じ、急ぎ帰宅した。しかし悲劇——<溝鬱逢魔時>(ドブウツオウマガトキ)への突入は起こったのだ。溝鬱逢魔時を、この森の住人であるならば、誰しも耳にした事はあるだろう。神域へと通じ<溝鬱悪鬼>を招来される時間だ。悪鬼はそのうちの一匹に憑依し、その動物がその三日後に、大量虐殺を行ったのだ。動物という表現よりかは獣と云った方が正しい。たくさんの、肉を裂き、鮮血が迸り、臓物が飛び出し、まさに地獄の様相であった」

 話の全貌は未だ掴めませんでした。その悪鬼とは可視的な存在であるかさえ不明瞭なのです。しかし、三日後という響きが狐を震わせました。嗚呼、あの友達と遊んだ時から何日が経過しているだろう、と。

 それから狼は「怖いか」と狐に尋ねましたが、狐は首を横に振るだけでした。

 狐は自分が醜くて仕方がありません。孤独の海へ入水自殺しているような、たくさんの罪を食べているような、そんな感覚に襲われます。心の中で「まだ自分が犯した罪とは限らない」と言い聞かせてみても、不安は執拗にしがみつき、肌を傷つけ、狐を殺します。

 狼は狐を一瞥した後、木々の奥へと姿を消しました。それは一瞬の出来事の様に、瞬きをした刹那、消えた風に思えました。

「あぁ、不安が今日という今日を殺し、三日という刻限が心臓の鼓動を早め、僕を殺す。僕はなんて醜いんだ。今じゃ子猿の面影でさえ、思いだせないじゃないか。あぁ、罪など関係無い、僕は醜い。村の偽善的な弔いには反吐が出る。じゃあ、ほんとうの弔いとは、なんなんだ。いったい、僕はどうすればいいんだ。こうやって、彼に懺悔するのがいいのか。それとも、無責任にも彼を忘れ前をむいて生きればいいのか。或いは禁忌を犯した者を、殺せばいいか。或いは、僕が、いや、森全体で、彼のもとへ旅立つのが正当とでさえ思えてきた。あぁ、そうだ。悪鬼がくるまえにみんな、殺してしまえば、禁忌など関係なくなる。禁忌を破ったことによって犠牲者が増えるのは、とても哀しい。ましてや自分の不注意のせいでみんな死んでしまうのは、責任が重すぎる。なら、僕が殺すんだ。不注意などという曖昧なもので命を奪うくらいならば、決心という刃で殺した方が、ましだ。そうだ、あぁ、そうだ。どちらにせよ責任を被るのは僕だ。僕が禁忌を破った犯人でないと解る時はたぶん、ない。解らずに、責任を感じる日々を送るのだ。悪鬼に憑依され、半狂乱になる者をみてしまっては、その責任は重くなる。ならば、僕が手を汚した方が、罪は軽くなるはずだ。

悪鬼なんかに殺されてたまるか。僕が、悪鬼から森を、溝鬱の森を護る。悪鬼が誰かに憑依するまえに、みんなを彼のもとへ送り届けるんだ」

 蝶が狐の鼻の上に、可愛らしくひらひらと止まりましたが、彼はそれを食べてしまいました。

 狐はその姿を客観的に見、とても醜く感じました。しかしこれくらいの自己嫌悪に負けては汚名など被ることが出来ません。

 翅が意外にも柔らかく、薄い肉がパラパラと崩れていく触感で、狐は不快感により冷や汗を浮かべました。堪えつつも唾で蝶の死骸を胃袋へ流し込み、溜め息をついたあと、空が紅に染まっているのが確認できました。

 白と黒の中間の雲が、うすく、うすく赫色の空に挽かれ、“烏”はそれを切り裂くかのようにまっすぐに、愚直に飛びます。

 『夕焼け小焼け』の美しい旋律が空虚に鳴り響きました。その刹那、狐の心に黒い染みが、“烏”のように愚直に蠢きました。その蠢きがぞわぞわと心を焼いていき、焦げた匂いが狐をじわじわと衝動的に変貌させていくのです。「早く、殺せ」とパンザマストが囁き、「今しか、ない」と心が堰かすのです。

 狐の眼は次第に殺意を帯び、息を荒げ、醜く笑みを浮かべました。

どうぶつなどという易しい表現ではなく、獣。無意味に他の命を奪いたいという欲求に屈した獣。

「こんなところでどうしたんだ。てめぇ、はやく家にかえりやがれ」

 蛙は何時もの様に油汗を流し、憤慨しています。その油汗にじわりと血が混じり、蛙は狐に呑まれてしまいました。

触感はぶにゅりとして気持ち悪かったのですが、味は、血液が鉄っぽさを帯び、なかなかのものでした。

 衝動的に狐は、今までの理性も愛情も交情も鬱屈も、何もかも破棄し、本能だけを原動力として木々を駆け抜けます。自然とオイデ村に戻ってきた狐は、獲物の匂いに心を満たし、涎が溢れだし、舌をだらんと淫らに垂らします。

 「おーい、はやく帰ってきな」と母狐が遠吠えをしています。その空虚な響きが、より狐の苛立ちを加速させます。

颯爽と母狐のもとへ駆け、「もう、こんな時間までいったいどこに」とまで口に出したものの、母狐の言葉は呻きへと変わりました。

 腹部を突き立てた牙に母狐の鮮血が滴り、瞬きの間に齧り抉り、喰らわれました。

 呻き声に異変を察した住人が、たちまち悲鳴をあげ、その悲鳴は次第に拡散されていきました。

「悪鬼だ」「ついにあらわれた」「もうおしまいだ」「逃げろ、逃げろ」

 混沌としたその口調は狐によって掻き消され、その俊敏な動きたるや、紅い落ち葉を撒き散らすつむじ風の様でした。木に登った動物は喉元を噛み切られ、廃車に息をひそめた動物は内臓を液体の様に垂らし、様々な動物は炸裂しました。

 すると、狐は見覚えのある影を視界に捉えました。その影はゆっくりと、住人たちの流れに反するように、落ち着いた歩調で狐に歩み寄ります。あの、狼でした。

「お前ら、はやく逃げろ」

 そう言い放った紅白装束の狼は何かの呪詛を呟きながら身構え、息を荒げました。それが彼に対しての、手向けの花となる筈でした。

 しかし、パンザマストは、

“夕焼小焼で 日が暮れて

 山のお寺の 鐘がなる

 お手々つないで みな帰ろう

 烏と一緒に 帰りましょう”

 動物の屍体たちに呼びかけるように、狐を肯定し狼を否定するように、そう、空虚に響き渡ったのです。

 

<終>

 

引用:『夕焼小焼』一部歌詞抜粋